>第4話 今日も今日とて
朝、店の扉を開けた店長は、コーラの缶を片手に、深いため息をついた。
「うーん……やらなきゃいけないことが多すぎて、何から手を付けたらいいのか……」
カレンダーには、赤字でこう書かれている。
『岩○納涼マルシェ企画書!』
昨日、露店の店主・オクラさんから「納涼イベント、ちょっとやってみたいんだけどな」と電話があった。
“長年温めてきた企画”だというが、出てきたのは情熱だけで真っ白な構想。
打ち合わせでは、オクラさんの熱すぎる語りだけが残り、具体的な内容はなかなか見えてこなかった。
同席していたヤマカちゃんは、店主の言葉を一生懸命メモしていた。
「屋台は笑顔で」「音楽で温泉を感じさせたい」「焼きトウモロコシにも個性を」……
どんなに抽象的な言葉でも、丁寧にノートに書き留めていた。
その姿が逆に、店長の焦りをじんわりと煽る。
「……これでどうしろっていうんだ……」
店長は、ぬるくなったコーラを飲み干し、静かにノートを開いた。
「よし、やるしかない。まずは形だけでも整えよう」
店長のノートより
- 日程:お盆期間中(8月14日)
- 会場:岩○温泉 広場
- 出店者:地元の露店(やきそば・かき氷・雑貨・手作りおはぎ など)
- ステージ:地元カラオケ大会、子供たちの盆踊り
- 子供コーナー:射的、スーパーボールすくい、ヨーヨー釣り
- 音響:CDプレイヤー持ち込み、民謡〜昭和ポップス中心
「……うーん、悪くない。けど、なんか“決め手”がない……」
店長は鉛筆を回しながら、昨日の会話をぼんやりと思い返す。
オクラさんが、ぽつりとつぶやいていた言葉が、ふと頭をよぎった。
「昔はな、いろいろやってたんだよ。スイカ割りとか、紙芝居とか……
でも今はやれる場所もないし、そんなこと言える空気でもなくてさ……」
その言葉が、妙に心に引っかかっていた。
「……昔は、やってた……。今は、場所がない……」
店長はふと、ノートの余白に書き込む。
“みんなでふらっと集まれる、ゆるい居場所”
“誰でも帰ってこられる、町の“縁側””
「……そうか。“縁側”って、イベントじゃなくて“空気”なんだな……」
何も決めきれなかった打ち合わせが、今になってじわじわ効いてきた。
そう思うと、急に手が止まらなくなってきた。
店長はノートを抱えなおし、立ち上がる。
店長のノートに加筆されたテーマ案
- イベントテーマ:みんなの“縁側”マルシェ ── おかえり、そして ただいま。
- コンセプト:
- 誰もが自然に立ち寄れる場所
- 昔懐かしいけど新しい“ゆるさ”の共有
- 暑くても、ぬるくても、笑ってすごせるマルシェ
「……なんとか形になりそうだ」
ふと顔を上げると、店の窓から見える向かいの畑で、濱和くんがいつものようにトラクターを動かしていた。
その奥には、小さな川がゆっくりと流れ、
さらにその向こうには広がる田んぼ。
もっとずっと遠くには、車がときどき通る国道がかすかに見える。
何も変わらないようで、実はちゃんと、いろんなものが流れている。
「この町も、なんだかんだで、ちゃんと“縁側”みたいな空気があるな……」
店長は少しだけ笑って、そっとノートを閉じた。
やることは山積みだけれど、今日は少しだけ“ぬるく”進めていこう。
文:店長 + ことのは工房
あとがき
企画書づくりなんて、形だけ整えるのも一苦労。
でも、言葉にならなかった誰かの想いが、ふとした瞬間に意味を持ち始めることもある。
今回の店長は、ひとりでも確かに“前に進む”力を見せてくれました。
来週の店長も、きっと今日も今日とて、ぬるく、でも着実に、町の未来をつくっています。
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