第2話旅立ちのギター
あのGibson J-45が、初めて店に届いた日のことは、今でもよく覚えている。
当時働いていたリサイクルショップは、楽器に強い店ではなかった。それでも上司に無理を言って、新品のギターを一本だけ仕入れてもらった。あれは、僕にとっての小さな「革命」だったのかもしれない。
展示して間もなく、ふらりと現れたのが、あのダンディーなお客様だった。ツイードのジャケットに革靴。いつも物静かで、でも眼差しにはどこか熱いものを宿していた人。
「これは、いいね。記念に買っておこうかな」
そう言って、その場でぽんと買ってくださったのに、帰り際、こう言った。
「ここに置いておいていいよ。看板代わりに使って」
ぽかんとしている僕に笑って手を振り、そのままギターを置いて帰っていかれた。
それからというもの、その方は週に一度は店に立ち寄ってくれるようになった。店内をゆっくり見てまわっては、たまにリサイクルコーナーのCDや小物をひとつふたつ手に取り、レジで少し雑談を交わして帰っていった。
その何気ないやりとりが、僕にとっては楽しみになっていた。
十年近く経っても、そのギターは、いつも僕の背中を支えてくれるように、そこにあった。
リサイクルショップを辞めることになったとき、僕はあのギターをそのままにして去ることはできなかった。お客様に連絡を取ると、電話の向こうで静かに笑って、こう言ってくれた。
「次のお店でも、看板にしてくれたら嬉しいな」
それからの数年、ギターは僕とともに新しい店のショーウィンドウに立ち続けた。店の灯りが消えた夜にも、弦がほのかに光を返していた。
ある日、久しぶりに彼が店を訪ねてきた。少し痩せたように見えたけれど、あの優しさはそのままだった。
「長い間、預かってくれてありがとう。あのギターなんだけど……査定してもらえるかな」
驚きながらも査定した僕は、当時の購入額より少し高めの金額を提示した。お金の話は苦手だ。でも、これは僕なりの敬意だった。
彼は小さくうなずいて、封筒を受け取り、またふらりと帰っていった。
数ヶ月後――
一人の女性が、静かに店を訪ねてきた。
落ち着いた雰囲気をまとったその人は、どこか面影があった。
「兄が……長い間、お世話になりました」
その声は静かだったが、胸の奥から絞り出すような響きがあった。
「最後に、好きなギターと、好きな方に会えて、本当に幸せだったと話していました。
何度も、あなたのお店のことを口にして……」
店内に、少しだけ風が通った気がした。
僕はただ、無言でうなずくことしかできなかった。
あのギターは――
彼の旅立ちのそばに、最後まで寄り添っていたのだ。
文:店長 + ことのは工房
あとがき
この物語は、実際にお客様とのあいだで感じた温もりや不思議なご縁をもとに、少しだけ脚色して描きました。
「ギターは人と人をつなぐ」と、いつも感じています。
音を出さなくても、そこにあるだけで物語が生まれる、そんな存在です。
人生の節目に、音楽と、楽器と、そして心を寄せ合える誰かと出会えること。
それはきっと、ささやかだけど確かな「旅立ち」の一歩なのだと思います。
読んでくださった皆様に、ほんの少しでも心が温かくなるような時間が届いていたら嬉しいです。
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